2010年07月22日

【台湾朝鮮】外地総合スレ【樺太南洋】

鉄道懐かし(仮)@2ch掲示板より。


 1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 23:13:58 ID:kY7WlTvz
 鮮鉄、台鉄、金剛山電鉄、京城電気、
 台湾製糖、朝鉄、樺太庁鉄道、朝鮮京東鉄道
 平壌府営、南樺鉄道、阿里山林鉄、
 彩帆の軌道、大連都市交通などなど
 まあ、語りましょうや。


 3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 09:43:04 ID:UET7Y7jY
 リアルで語れる奴いるのかよ!?


 4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 14:14:01 ID:QHYfzew8
 北朝鮮で鮮鉄の客車がまだ現役で走ってるらしいね


 5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 23:11:04 ID:xBgto+Ug
 まあ、富谷と苗栗は見に行かないと。


 6 :名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/10(水) 02:41:54 ID:rc5AbTPL
 南洋スレタイ入ってるが、
 サイパンのトロッコとかを語れというのか?

 正式な鉄道はないぞ。


 7 :名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/10(水) 03:07:52 ID:ADb6ZF+r
 >>6
 >1に「彩帆の軌道」(南洋興発のヤツ?)が入ってるからええんでないの?


 8 :名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/10(水) 06:36:29 ID:45I3LCMT
 終戦時に小学校入学してたとしたら70歳か…。
 リアルで語れるネ申に光臨してもらいたいものだ。


 9 :名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/10(水) 12:46:42 ID:rc5AbTPL
 スレタイに満洲が入ってないのが腹立つ。

 特急あじあ号が通過する時、線路際で見ているとグワーンとうなって、
 レールから浮き上がらんばかりの勢いで通過し、そのスピードに目を見張った。

 と、関東軍にいた祖父が話してた。


 10 :名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/10(水) 13:01:18 ID:uFDJlzHi
 意外にも日帝時代の建物が大事にされている件

 http://up.2chan.net/r/src/1221013886531.jpg

 こちらは保存運動があったが使われていない貨物駅なので消えた
 http://up.2chan.net/r/src/1221019233152.jpg


 11 :名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/10(水) 13:12:18 ID:1q6ay21L
 >>10
 中国も侵略云々言ってるわりに、パシナとか大事にしてるしな。


 12 :名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/10(水) 17:39:34 ID:uuv9Q1EV
 あかつきとかは朝鮮半島走ってたんだよね


 13 :名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/10(水) 20:27:43 ID:ADb6ZF+r
 >>9
 ほら、一応、満州は「独立国」であって、日本の外地ではないからさ。
 ・・・関東州(大連・旅順)は別ね。
 本当なら、1999年まで日本の租借地で、今頃、香港やマカオのようになっていたか。

 >>10
 でも、新村旧駅舎は、駅の左側をぶっ壊して、右側にイミテーションをくっつけたカオスな状態。
 一方で、慶州駅の辺りは「日帝が新羅の都に無理矢理線路引いたニダ」とか言ってるからね。
 あの駅舎も日本時代のものなので、見るなら早いうちがいいかも。浦項も日本時代のままだったかな。

 >>12
 あかつきは鮮鉄の看板列車ですな。
 しかし、鮮鉄はよくわからん。満鉄系と違って、資料がまとまってない・・・。


 14 :名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/10(水) 23:00:19 ID:/DKSsmgO
 植民地時代の名残を色濃く残すのは、やはり台湾ですね。

 車両表記の字体を見ると、強くをれを感じます。


 15 :名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/10(水) 23:55:50 ID:rc5AbTPL
 >>13
 満洲は独立国だけど、成立前は満鉄付属地は日本領だよ。
 関東州は租借地ではないよ。


 16 :名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/11(木) 00:00:16 ID:76q6BN4Z
 >>15
 じゃあ・・関東州はなんなの?

 満鉄付属地は日本領だけどさ。たしかに。


 17 :名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/12(金) 03:04:43 ID:BJfU8iet
 関東州は租借地。
 1997年までが期限。


 18 :名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/12(金) 16:34:19 ID:xT4NbznU
 樺太は最終的に内地になってる。


 19 :名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/12(金) 18:46:33 ID:BJfU8iet
 戦時下だったので、あまり内地扱いしてもらってないけど、
 樺太庁鉄道はみんな国鉄になったもんな。


 20 :名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/12(金) 18:58:52 ID:BxqsWoNx
 樺太C58や樺太C56など戦時中に投入された樺鉄局の機関車の写真って見つかってないんだよね。
 時局を考えたら出てきそうにないな。


 21 :名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/12(金) 22:00:32 ID:lDIltJA4
 金剛山電鉄の車両は北朝鮮に残ってる。


 22 :名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/12(金) 22:41:19 ID:BJfU8iet
 >>21
 保存車?


 23 :名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/12(金) 23:38:11 ID:W880R0nH
 >>22 これ。もとデロハニ。
 http://www.norihuto.com/kumgang-old-dentetsu3.htm


 24 :名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/13(土) 22:13:21 ID:esyz5tdq
 お召し列車みたいな物だね


 25 :名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/13(土) 22:36:50 ID:kU0CptUf
 >>23
 カウキャッチャーみたいなのがあるけど、たぶん北朝鮮がつけたんだろう。


 26 :名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/14(日) 04:04:52 ID:dfr3p71d
 >>23
 一つの座席だけ白いシーツが掛けてあるのにワロタ


 28 :名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/14(日) 22:43:17 ID:qqArLf+M
 >>25
 カウキャッチャーは日本時代からついていた。
 今つけているのが当時からのものかどうかは知らぬ。


 29 :回想774列車:2008/09/15(月) 10:53:45 ID:bc3oWaEC
 回想774列車初登場!


 30 :回想774列車:2008/09/15(月) 14:48:13 ID:L9H27zBR
 樺太にいって、本物の大泊桟橋を見たときの感動は一生忘れられません


 31 :回想774列車:2008/09/15(月) 15:02:24 ID:bc3oWaEC
 >>30
 コルサコフの写真うP


 32 :回想774列車:2008/09/15(月) 21:41:51 ID:L9H27zBR
 >>31
 http://heizoh7.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/img/62.jpg


 33 :回想774列車:2008/09/15(月) 22:37:38 ID:bc3oWaEC
 >>32
 d。
 いつの撮影ですか。
 思っていたよりも、港が小さいです。


 34 :回想774列車:2008/09/15(月) 22:50:23 ID:L9H27zBR
 >>33
 2001年。
 写真奥の桟橋は日本時代のまま、沖に長く伸びている


 36 :回想774列車:2008/09/23(火) 19:23:12 ID:rUCNICpd
 俺の父さんは植民地時代の台湾で駅長をやってた。
 三貂嶺という駅で駅長をやってたらしい。
 生前にもっとちゃんと話を聞くべきだった・・・・


 37 :回想774列車:2008/09/23(火) 20:17:55 ID:eOVTyn1M
 >>36
 >三貂嶺
 宜蘭線と平渓線の分岐点で、昔の保津峡のような駅だ。
 http://www.east-asia-railroad.com/starthp/subpage80.htm

 ・・・時期にもよるが平渓線は、炭鉱会社の私鉄線だったから、
 そのあたりも聞き出して欲しかったなあ・・・。


 38 :回想774列車:2008/09/29(月) 14:00:15 ID:Jkvs/9gI
 関東州は租借地。
 1997年までが期限。


 39 :回想774列車:2008/09/29(月) 17:59:12 ID:3co6Lvlk
 スペイン人がサンチアゴと名づけたのが三貂嶺になったのよ
 台湾紀行に書いてあったのかな?


 40 :回想774列車:2008/09/29(月) 21:57:05 ID:Mtx87KWC
 >>36-37,39
 景色は悪くないが、ある意味「秘境駅」だよ。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%B2%82%E5%B6%BA%E9%A7%85
 あそこでも昔は結構乗降客があったのかな?


 41 :回想774列車:2008/09/30(火) 01:27:47 ID:0xIdUhss
 >>15-16
 鉄道付属地は領土とは違う。


 42 :回想774列車:2008/09/30(火) 09:04:03 ID:n79zEgQ2
 >>36
 台湾が植民地だった時代など存在しませんが?


 43 :回想774列車:2008/09/30(火) 15:55:38 ID:BqoXQPcf
 植民地でOKじゃん。内地とは別の法制度で運営されていたわけだし。


 44 :回想774列車:2008/09/30(火) 16:18:14 ID:HYlfrZMt
 外地として扱っても、植民地として扱いはしてなかったはずだがね。


 46 :回想774列車:2008/10/01(水) 09:44:26 ID:AFfYnrju
 >>43-44
 日本の公文書では「殖民地」と表記してたけど意味は植民地と同じ。

 台湾と言えば清時代からか細いながらも鉄道があったのが興味深い。
 まだ遺構が残っているらしいね。


 47 :回想774列車:2008/10/05(日) 21:52:16 ID:zI4/lcxk
 。かうせでがかい

 http://provyake.jog.buttobi.net/usr/bin/perl/cgi-bin/img-box/img20081005214122.jpg


 48 :回想774列車:2008/10/05(日) 22:34:37 ID:P1QZ0WRk
 >>47
 おお。
 大連は大広場とその周りにある建物をかたどった秀逸なモノだったのですね。


 49 :・:2008/10/05(日) 23:18:32 ID:JxJQJxDe
 【樺太の話】
 近所に樺太西海岸”恵須取”で生まれた先生がいる。
 炭鉱で栄えた町だったが、まだ鉄道未開通で、稚内や小樽から船で往来。
 鉄道は少しずつ南部から敷設されて伸びてきたらしいが、
 太平洋戦争の激化で中止、撤去されたレールもあったそうだ。

 戦前の一番線路網が延びた時代には、
 南部の大泊港から北緯50度線近くの上敷香までの
 約350kmを13時間余(昭和19年)を要した。

 速度が遅いのは、寒冷地で地盤が凍結する期間が長くて、
 凍上防止のための路盤下の地盤改良に経費を省いた事が主な原因だ。
 その地盤が泥炭の様な植物鉱物中間や、腐植し切っていない土壌が多くて、
 軟弱で水分も多くて支持力不足で軌道も狂い易かった。

 晴れた日には遥かかなたに見える樺太に行きたいものの、
 戦前の記憶とのギャップが心配で、再訪は迷っているそうだ。


 54 :回想774列車:2008/10/22(水) 00:09:38 ID:m8qC55HW
 泰緬鉄道は違うのか?あれは一体日本の鉄道なのか、タイの鉄道なのかさっぱりわからん。


 56 :回想774列車:2008/10/23(木) 17:09:57 ID:w2Qd9Xot
 スハ32の丸屋根(新造)が1両実際に樺太に行っている、多分大泊港‐上敷香
 の夜行直通列車用だったのだろう。(時刻表にない気屯、古屯まで入っていた
 かも)?それに樺太の「ロ」はオロ31でも2重窓に改造してもって行ったのだ
 ろうか?(オロハ30?)軍事施設があったから将校用の「ロ」全車が東海岸
 に使用されたかと想うのだが?


 57 :回想774列車:2008/10/23(木) 22:15:21 ID:QaYGKs7a
 スハ32だったか何か、華北交通にも行っているよね?


 58 :回想774列車:2008/10/23(木) 22:18:12 ID:Sx0YTORO
 答ではありませんが、
 国有化以前は、樺太には鋼製客車は少なかったのですね。
 連結器の高さは終戦前には「内地」と揃えられたのですよね。
 戦中にだいぶハチロクが渡ったとか?
 調べるまで粗忽にも二重窓はスハ45が最初だと思ってました。
 樺太庁でも気動車はさすがに二重窓ではなかったのでは?
 (運転席に旋回窓はついてたようですが)


 59 :回想774列車:2008/10/24(金) 10:28:46 ID:eVO2+jxn
 >>57
 中国へ行ったのはW屋根のスハ32ではなかったか?


 60 :金星51号 ◆zKt8djrH4w :2008/10/24(金) 15:02:20 ID:mP5uSYpW
 華中鉄道だったかな。
 田邊氏の「大陸の鉄輪」にでてたか。


 華中鉄道の引揚者が創設したメーカに、カテツ車輛工業というのがあった。
 京成、大栄車輌に関わりがあったようだが、詳細不明。


 61 :回想774列車:2008/10/24(金) 18:35:12 ID:uepBwKSH
 ナニワ(→アルナ)工機は旧鮮鉄の技術陣を何人か迎えいれた
 という話を聞いたことがあるが真偽不明。


 62 :回想774列車:2008/10/24(金) 22:32:41 ID:lr61VX6f
 >>61
 たしか、鮮鉄のラハ車の技術が、
 奈良電デハボ1200や阪急610の軽量車体として結実するんじゃなかったっけ?


 63 :金星51号 ◆zKt8djrH4w :2008/10/25(土) 03:10:48 ID:tY7KnxIm
 鮮鉄にしろ満鉄にしろ、国内で簡単には採用できない技術を、
 思おう存分使っていたような気がするな。

 それに比較すると、台湾は少し格下扱いか。

 内鮮一体といったりして(口だけにせよ)、朝鮮には力を入れていたのだろう。


 64 :回想774列車:2008/10/25(土) 10:58:24 ID:vP/N+kJ3
 っていうか、半島は大陸へのルートの一部でしたから…


 65 :回想774列車:2008/10/25(土) 17:30:32 ID:sRBuxSll
 てか、単に、本土・樺太・台湾=狭軌で、
 朝鮮・満州=標準軌という面が大きかったのでは?

 樺太・台湾では本土の鉄道省の設計をそのまま使い、朝鮮・満州では別に
 設計を行っていた(共同で行っていたのか、どちらかがリードする形
 だったのかは分からないが)。


 66 :回想774列車:2008/10/25(土) 17:46:39 ID:vP/N+kJ3
 >>65
 鮮鉄は満鉄の影に隠れて地味だけど、戦前に110km/hを目指していた
 という話もある。満鉄への委託経営期も含めて、車両の設計に
 鮮満の共通点は少ないような(強いていえば小型グロベン?
 妻楊枝の頭を見るたびにNゲージで使えないかと思う)。

 さすがに欧亜連絡の陸路ルート再興の妄想には伍する気にはなれないがw


 67 :回想774列車:2008/10/25(土) 21:26:21 ID:r/sz3s9C
 >>66
 鮮鉄のほうが満鉄に比べて路盤などが悪いからか
 (日露戦争時の粗製だから?)。


 68 :回想774列車:2008/10/26(日) 11:39:19 ID:CIioNZCp
 満鉄の方が相当進歩的だったみたい‐‐‐客車型式図の一部を持っているが
 それでも普通用?のハが2+3の座席配置だったり、通路を隔ててプルマン式
 見たいな線路に併行形の寝台があるハネがあたり:---1,435mmだったから
 車体幅も広かったからか「満鉄式詰め込み車」もあったみたいだ。


 69 :金星51号 ◆zKt8djrH4w :2008/10/26(日) 14:31:51 ID:Z/P3zqd7
 >>68
 それってどんな6扉車?


 70 :回想774列車:2008/10/26(日) 16:10:26 ID:3mzBwyT+
 新幹線はどちらかといえば本土の鉄道よりも満鉄のほうが直系に思える。


 71 :回想774列車:2008/10/29(水) 10:52:35 ID:6A02A3bz
 >>68
 釣りか?
 満州で6扉なら「凍死」してしまうぞ!


 72 :回想774列車:2008/10/29(水) 13:20:32 ID:VUv/ptko
 デッキ付き6扉車なら大丈夫


 73 :回想774列車:2008/10/31(金) 11:16:21 ID:IXddnBS8
 明治初期には日本にも6扉の三等車があったと何かで読んだような。


 74 :回想774列車:2008/10/31(金) 21:07:09 ID:NAg2XlzU
 >>73
 ようするに、コンパートメント式の車両だろ。


 75 :回想774列車:2008/11/20(木) 17:14:59 ID:x9JSINVl
 満鉄ハネ1型(円屋根)じゃないか?手許に図面があるが、寝台室部分8個窓で寝台
 定員64人とある。2位側に一人掛け座席見たいな物が向かい合わせになっているが、
 此れがプルマン式で上段が付けば合計64になる。スハネ30式の線路に直角寝台が
 1位側だが、此れが上‐中‐下らしい。(内部図面なし)
 線路に直角部分6x8=48名
 プルマン型部分2x8=16名---で合計64名の計算になる。 随分詰め込んだ物だが
 トイレx2、洗面所x2(洗面器2x2=4日本のCロネみたいな)。
 デッキも前後にある客車式。LWH=2524x3130x4561(寝台室内部幅=2780)mm。
 下段幅=635mm、プルマン部分=550mm(こちらに当たると災難)?
 台枠は「魚腹」、凸型通風器2列、便所臭気抜き=煙突型x2.デッキ部分W屋根。
 不完全な図面だが2位側の座席部分が不可解。


 76 :回想774列車:2008/11/20(木) 22:07:09 ID:a6FHkMdE
 >>75
 それ、シベリア鉄道の3等寝台と同じ配置だよ。


 77 :回想774列車:2008/11/20(木) 22:21:27 ID:OI6IpVOY
 そうですか…シベリア鉄道の3等車ってのはいつ頃の話でしょう。
 革命後は2等級制とばかり…

 ロシアのDC3000Vの旧型電機が
 デロイから先輪をはずした感じに見えたので
 もしかしたら朝鮮動乱時の鹵獲品のコピー
 かと思って調べたけど、違った・・・


 78 :回想774列車:2008/11/20(木) 22:43:45 ID:a6FHkMdE
 ごめん、2等寝台だ。

 この前のNHKでシベリア鉄道の話やっていたから見ていたんだが、
 見事に、そういう寝台配置だった。


 79 :回想774列車:2008/11/21(金) 14:41:55 ID:zUtMwzYo
 シベリア鉄道にもですかご教示有難う。


 80 :回想774列車:2008/11/21(金) 15:13:07 ID:hj5UuCwW
 樺太庁鉄道とかって ソ連占領後も、過酷な気象条件下でしぶとく日本の戦前気動車
 が残っていたみたいじゃん。露助の規格不適合なのに何故に?・・・
 単に貧乏で、広大な国土の端まで自前規格の車を十分手当て出来なかったから?

 戦後も、帝車に 戦争賠償?かで、湘南型のディーゼルカー造らせて阪和線
 で試運転までしているし、まだシベリアに日本人が抑留されている時代だよね。
 そんな時代、商談引き受けるなんてねぇ・・・・

 まぁ 北朝鮮が拉致しても、北朝鮮擁護しモノ送ったり、擁護しつづける馬鹿が
 平気で国会議院でいて、派造っていられる位だから問題ないのか?


 81 :金星51号 ◆zKt8djrH4w :2008/11/21(金) 16:18:50 ID:Rak/fAFI
 >>80
 よく戦後樺太に渡ったD51を賠償と言う人がいるが、
 あれは輸出。
 だいたいソ連に賠償する謂れはない。

 車輌工業は国内産業育成の意味もあって、輸出していた。


 82 :回想774列車:2008/11/21(金) 18:03:59 ID:muTdNdjO
 樺太の西海岸線を走るキハニ2100?の成れの果てっぽい
 単行気動車の映像を、十数年前に(日本の)TVで2度ばかり見たけど
 たしかに謎だ。
 戦前はガソリンカーだったと思うが、エンジンは取り替えたのか、
 パーツの補充はどうしてたのか。
 ロシア本土?には、床下機関の気動車って無かったはず…


 83 :回想774列車:2008/11/21(金) 20:03:08 ID:zUtMwzYo
 >>82
 確か斎藤由紀?が出てきた番組?慰霊団に同行で------?
 タイフォン鳴らして後ろを通過した映像ではなかったかな?どうも記憶が
 あいまいだけれども。もう20年近く前かな?若し間違っていたらご免。


 84 :回想774列車:2008/11/21(金) 20:44:40 ID:PljDgqZq
 >>83

 NHKは確か(女優は出ず)。
 その何年後かに薬師丸ひろ子で民放のを見たと思ったが
 他でも映ったかもよ。俺も間違ってたらご免。


 85 :回想774列車:2008/11/21(金) 22:29:19 ID:63lHj0YE
 >>83
 まだ時代が昭和だったときの話ですな。
 グラチノスチで漸くソ連でもカメラを回すことの制約が解けて
 未だ外国人立ち入り禁止地帯だった樺太に、フジテレビのカメラが入った。
 薬師丸ひろ子がレポーターだった。

 これで、「出っ歯」が出てきたときには、こっちも唖然としたよ。

 この2年後(だったかな?)ソ連は崩壊。
 当時、浦塩なんかに自由にいけるようになるとは思ってもみなかった。


 86 :回想774列車:2008/11/22(土) 10:02:47 ID:B+R7quJl
 >>95
 そうだ勘違いして居た「薬師丸ひろ子」だった。フジ系で見たのも思い出した
 確か黄色と青系の色じゃなかったかな?タイフォン鳴らしていた---
 時代も「昭和」だったな--御教示有難う。アノ場面もう一度見たい。


 87 :回想774列車:2008/11/22(土) 13:26:04 ID:B+R7quJl
 >>86
 スマソ85サンでした。


 90 :回想774列車:2008/11/22(土) 23:36:47 ID:Qiwqu0ek
 俺国鉄のディーゼル機関車に興味ないから うる覚えなんだけど、
 戦後 30年代 昭和メーカー試作機が国鉄に多数貸し出されたけど、その中に
 常磐線で試用したモノのなかに、台湾国鉄に引き取られた(形は米国や韓国に多い
 タイプみたいだった?)ヤツがあった と思うけど
 その後どうなったの?


 91 :回想774列車:2008/11/22(土) 23:49:35 ID:rt5Nf0i5
 >>90
 国鉄DF91(初代)ね。
 日立で10両つくられたもので、1両を国鉄が試用した。
 日立だったから常磐線だったんだろうな。

 台鉄のR0形R1号機で同型のR6号機が苗栗に保存されている。


 92 :回想774列車:2008/11/23(日) 07:07:32 ID:AXbtGRTD
 >>90-91
 常磐線での試用は数ヶ月間だったらしいですね。


 93 :回想774列車:2008/11/23(日) 10:57:49 ID:Ghga4b8d
 >>91 >>92 有難うございます。
 こういう DF91初代 とか 阪和線で試運転したサハリン向け湘南型ディーゼルカー
 って 運転取扱いや計器類の標記で困らなかったのかな?

 法的な問題?とかも・・・含めて ひたすらメーカー職員添乗?


 94 :回想774列車:2008/11/25(火) 06:26:11 ID:ZmufgMJK
 むしろ旧外地でそのあたりが日本規格だったから出来た芸当ではないかと


 95 :回想774列車:2008/11/25(火) 15:36:17 ID:r3RIwGTT
 俺の爺さんの弟が80代なんだが満鉄勤務経験があって、
 今はネットもしてるらしい。
 なんとかこのスレに誘導したいものだが…


 96 :回想774列車:2008/11/25(火) 23:22:30 ID:BNsMJ2bl
 >>95 誘導信号機が現示しました。
 爺さんのパソコンの お気に入りに、
 入れて(懐かしい板だけではなく、落ちるかもしれないが、満鉄がらみスレ別も・・・)
 すぐ観れるようにして下さい。
 貴重な証言が頂けるかもね。


 102 :回想774列車:2008/12/02(火) 19:35:32 ID:ZyoEpOR/
 松田伝十郎著『北夷談』文化5年(1808)の記事より。
 (仮名遣い等は原文ママ、<>は割注)

 一、六月十九日、和波にて此入江を渡海してナツコ<地名>と云所へ至る。此所より
 山靼地至て近し。引汐には海草一面に顕れ瀉となり、歩行もなるべくよふすに見ゆ。尤
 引汐になるとはやさし汐となり、至て汐路六つヶ敷、中々舟行成がたく、是非なく此処に
 舟をさし置、夫より陸行してラツカ<地名>と云崎に至る。此所より奥の方海草腐れ、
 深く踏込み中々寸歩も陸行ならざるゆへ、此処にて東西南北を見渡す処、山靼地
 マンコウ川吐口等もはきと見分しゆへ、カラフト離島に相違なし。是より大日本国境と
 見極めたり。此所より山靼地へさし渡し四里程にして草色も分り、地名カウマタ、
 モチツブ右の山々目当に方位を振りて粗地図を取る。此ラツカといふ所より、先は迚も
 人力にて行ことかなわず。

 ※間宮海峡を最初に確認した松田伝十郎は間宮海峡を国境と考えていたようです。


 103 :回想774列車:2008/12/02(火) 19:56:21 ID:rqPPqhPp
 >>102 千島樺太交換条約がある(ロシアだって認めていた。)じゃん。
 日露戦争に勝って南樺太を再度領有した経緯は、あるけど日本が、
 千島・南樺太どちらの領有権利も無い 根拠が無い訳では無いよ。
 そりゃ・・・日本もロシアもアイヌに主張されたら、根拠ないが・・・


 104 :回想774列車:2008/12/02(火) 21:24:10 ID:ZyoEpOR/
 千島樺太交換条約はいわゆる不平等条約の一つです。
 千島と樺太が等価交換であるとは誰も思わないでしょう?


 105 :金星51号 ◆zKt8djrH4w :2008/12/02(火) 22:52:01 ID:ODkUXc9P
 日本が北方四島だけ主張するのがおかしくないかな?
 四島+樺太か、
 全千島のどちらかだろ。


 106 :回想774列車:2008/12/02(火) 23:41:41 ID:lzFNGdFK
 20年以上前の冷戦下に、イヌアッチイケ-のドキュメンタリーで
 20世紀初頭に蝋管レコードに録音された樺太アイヌの口承の話が出てた。
 現地ではとおに樺太アイヌ語は廃れ、北海道の網走かどっかに
 生き残りの婆さまを訪ねるが、堅く口を閉ざすのであった。
 民族浄化とかいうけど、わずか数十年で一つの言語が消えるとは…
 知らずしらずに涙が止まらなかった。
 土民保護法とかはあったが、アイヌ語を完全には弾圧しなかっただけ
 ソ連の治世より日本のほうがマシかと思った。
 板チすまそ。


 107 :回想774列車:2008/12/03(水) 00:21:17 ID:rlfP6qxX
 >>105
 樺太千島交換条約は明らかな不平等条約なので、
 全千島があれば樺太はいらないという主張は筋が通らない。

 日露和親条約・樺太千島交換条約の不平等な領土規定の改正条約というべき
 ポーツマス条約の国境線に戻して全千島+南樺太にするか、
 あるいは樺太全島+北方4島+得撫島周辺あたりが妥当。


 108 :回想774列車:2008/12/03(水) 00:23:45 ID:dluDBQ0E
 いい加減すれ違いだ。出て行け。

 千島には鉄道は無い!


 109 :金星51号 ◆zKt8djrH4w :2008/12/03(水) 00:40:47 ID:J01L8kWN
 >>107
 得撫島あたりと言う根拠は何ですか?

 しかし、樺太は日露雑居地ともされていたわけですから、
 全千島+南樺太でもよさそうだね。


 110 :回想774列車:2008/12/03(水) 12:09:13 ID:LdaW0bJU
 樺太には、終戦直前に本省の8620がまとまって渡ったってのは本当ですか?


 111 :回想774列車:2008/12/03(水) 18:53:25 ID:4wO97TrI
 >>108
 国後にはあったらしい。
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/ice/1170972846/


 112 :回想774列車:2008/12/03(水) 23:07:00 ID:bzGg8zot
 >>109
 「樺太は界を分かたず」とした1854年の日露和親条約の締結時に、樺太には
 ロシア人の定住者など一人もいなかった。
 それもそもはずで、樺太の対岸の外満洲(沿海州)がロシア領になる
 1860年以前にロシアが樺太に本格的に進出することはできなかった。
 しかし「界を分かたず」の規定が拡大解釈されて、その後なし崩し的に
 雑居状態になったというのが真相。

 なお幕末の開国の時点で、日本の江戸幕府が自国領として主張していた範囲は、
 樺太全島と北得撫海峡までの千島。
 もっとも松前藩などは、本来的には北千島やカムチャッカも自国領だと
 認識していたようだが、新知島以北に関しては、幕府は1813年に
 ゴローニンと高田屋嘉兵衛の事件を解決した際にロシア領であることを
 認めてしまっている(実効支配できていたわけでもないし)。
 但し樺太については、1808年に松田伝十郎が間宮海峡に面したラッカ岬に
 日清国境の標柱を立てているし、得撫島に関しても1801年に富山元十郎らが
 日本領であることを示す標柱を立てているので、正式に領有宣言をして
 支配している意識が日本側にあった。


 113 :回想774列車:2008/12/03(水) 23:08:08 ID:bzGg8zot
 結局、幕末の和親条約で、樺太全島を日本領と認めたくないロシア側によって
 樺太は「界を分かたず」という曖昧な表現にされてしまい、千島に関しても
 ロシアは得撫島をロシア領にするために、敢えて「択捉島までロシア領」という
 主張をすることで日本側に圧力をかけ、妥協案という形で択捉・得撫間の海峡が
 国境という形に持ち込んだ。

 そしてその後の樺太千島交換条約(1875年)も、間違ってもこれが対等な
 立場で同価値のものを交換した条約とはいえない。
 しかもロシアがこのような交換を持ちかけた背景には、アラスカ売却などにより
 カムチャッカ半島ややベーリング海方面への関心の薄くなっていたロシアが
 北千島の小島群よりも、樺太を全島自国領にしてしまいという意識になっていた
 ことがある(要は完全にロシアの都合)。

 しかもこの条約の締結交渉の際も、最初の段階では、樺太の代償として得撫島と
 それに付属する小島(知理保以島・武魯頓島)のみを譲るとロシアは日本に
 提示していた(これは元々幕末に日本が自国領と主張していた地域)。
 ただロシアの極東での勢力拡大を警戒する他の欧米列強の横槍のおかげで
 千島全島になった経緯がある(それでも不平等な交換に変わりないが)。


 114 :回想774列車:2008/12/03(水) 23:37:10 ID:vqSoztfK
 ロタ島の「ぎんが」駅って、今も健在?


 115 :回想774列車:2008/12/05(金) 10:44:24 ID:kjk1by3s
 外地じゃないけど、野付水道線まだぁ?

 釧路→中標津→国後島に鉄道を敷くべきだよ。


 117 :回想774列車:2008/12/09(火) 23:08:26 ID:l25C4qYz
 おい、旧領土が占拠されてるぞ。
 http://upp.dip.jp/01/img/13665.jpg


 118 :回想774列車:2008/12/10(水) 18:28:28 ID:AjTMu6h7
 南沙諸島か。
 確かに紛れもなく我帝国の領土だな。桑港條約が恨めしい

 しかし、中共はここまで拡充しやがるつもりなのか。


 119 :回想774列車:2008/12/16(火) 00:36:12 ID:u539Ct36
 台湾の糖鉄が無くなって久しいねぇ
 数年前、最期の運転を見に行ったよ
 さとうきび畑を走る機関車にのっけてもらったのがいい思い出になりました

 南州糖廠ってところ、日本人だった爺さんがいて、日本語で話しました
 WTO加盟で国内砂糖産業が保護できなくなってしまったためらしい

 その頃買った台湾の地図を見ると糖鉄線路が書かれていました
 ちゃりで走ると踏切跡がそのまま残っていたりします
 保安駅の近くでは鉄路局線路の下を走っていたようで、
 そこを通り過ぎると知らないうちに線路がチャリ道になっていて
 信号機がそのままあったのにはびっくりしました
 そしてその先には大きな駅が建設中でした
 新幹線の台南駅です
 駅の西側にはさとうきびを投入するホッパーあとがありました


 120 :回想774列車:2008/12/17(水) 17:35:05 ID:1AgUt5ZY
 コーヒーに入れるスティックシュガーをふと見ると
 「塩水港精糖」とあってびっくりしたけど
 「・・・製糖」ではないのね。

 http://www.ensuiko.co.jp/

 終戦で在外資産をすべて失ったが、塩水港倉庫として再結成、
 社名変更して現在に至るとある。


 121 :回想774列車:2008/12/18(木) 11:23:23 ID:KQ1gw+SC
 >>120
 台湾総督府資料庫
 鹽水港製糖會社
 http://sotokufu.sinica.edu.tw/sotokufu/topic/database/topic/05/topic05.html


 122 :回想774列車:2008/12/18(木) 11:30:14 ID:KQ1gw+SC
 1枚目は新榮の土地を払い下げる件
 新榮の工場も同社のものだったようです

 2枚目は達筆で読みにくいですが
 九曲堂あたりに糖鉄をひくために官有地を同社に払い下げる件


 123 :回想774列車:2008/12/18(木) 11:40:06 ID:KQ1gw+SC
 2枚だけかと思ったら36枚も資料がありました
 本文は台湾国語ですが
 文書は日本語です

 同社の用紙で総督府へ官有地払い下げを願う文書、設計書などもあります
 日露戦争後、台湾が農業を中心に発展していく様子がわかります

 総督府の資料は蒋介石時代には新竹あたりの倉庫にほったらかし状態だったのですが
 台湾化政策で見直されて、現在は国家図書館で研究されています
 一覧は日本の大学が作成していますね


 124 :回想774列車:2008/12/18(木) 11:42:38 ID:KQ1gw+SC
 韓国はどうなのでしょうか
 鉄道にからむ総督府関係の資料は台湾のように整理されていないのでしょうか


 125 :金星51号 ◆zKt8djrH4w :2008/12/18(木) 22:55:59 ID:TuCP3smq
 >>124
 政府の記録保存所にあるらしいが、韓国人でも閲覧が難しいそうで、
 簡単には調査できないらしい。

 台湾は基本的には原本の公開はしていないが、目録は日本で刊行されている。

 国会図書館
 請求記号 A111-E91
 タイトル 台湾総督府文書目録. 第1巻
 責任表示 中京大学社会科学研究所台湾総督府文書目録編纂委員会編
 出版地 東京
 出版者 ゆまに書房
 出版年 1993.12


【台湾朝鮮】外地総合スレ【樺太南洋】
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1220883238/


posted by 三葉虫是政 at 17:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2ch | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。